毘沙門天(びしゃもんてん)
竹ノ内(たけのうち)
庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。
鞍馬は北陸若狭と山陰丹波を京都と結ぶ交通の要衝でもあり古くから市が栄え、自然と鞍馬寺の毘沙門天の本来の神格である財福の神という面が強まりました。
また9世紀頃からは正月の追儺において、疫病を祓う役どころがかつての方相氏から毘沙門天と竜天のコンビに変わっていったことから無病息災の神という一面が加わる。
平安時代末期にはエビスの本地仏ともされ、日本では毘沙門天は甲冑をつけた姿が主流となるがこの姿はエビス神の古い形態でもあり、このことは市場で祀られたことと関係がある。
こうして福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒にならぶ人気を誇るようになる。
室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。
毘沙門天に捧げられた真言
オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ
上杉 謙信(うえすぎ けんしん) は、戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の武将・戦国大名。 ...... 武神毘沙門天の熱心な信仰家で、本陣の旗印にも「毘」の文字を使った。 ...