十番礼所 一里堂(いちりどう)

宍粟新四国八十八ヶ所 霊場 十番 札所
一里堂(大師堂)は江戸時代の一里塚と明治時代に盛んになった新四国霊場巡りの霊場が合体したもの考えられ、堂内に弘法大師の立像・坐像4地蔵を安置。

地蔵のうち一体は天保3年(1832)の銘をもち、他の一体には「当村女講中(おんなこうちゅう」の刻字がある。

江戸時代、主な街道筋に、旅人の目印や休憩所として、一里(約三・九キロ)ごとに一里塚や一里堂が置かれました。

主な街道筋には一里ごとの目印として一里塚が設けられましたが、これが地方へ波及したものと考えられます。

 

この一里堂は旧千種道筋の途中、佐用町から宍粟市千種町に入った辺りにあります。

千種の中心から一里(4km)の所(下河野地区)に建てられている茅葺(かやぶき)の大師堂。

ここから南へは、塩地峠を越えて山崎方面へ出る道が通じており、江戸時代には千種からは千草鉄や炭を、 山崎方面からは塩、酒、油などの食料品や衣料などの物資を運ぶ道として盛んに利用されました。

 

この御堂は、間口4.1m、奥行き4.1mの木造平屋建てで、屋根は茅葺の宝形造りとなっています。

道端に趣のある茅葺屋根の一里堂、中には6体のお地蔵様がおられます。

 

一緒に中で一休み。同じ時間なのに、快くゆったりとした時間が流れます。

平成29年4月21日